4.今後の展望

アメリカでは専門家責任賠償保険が極めて隆盛である。個々の実態がどうであるかは分からないが、国民的な要請にもとづき運用されていることは明らかである。これに対し我国の専門家責任賠償保険はまだ緒についたばかりであり、その運用実績もいまだしの感が強い。このような彼我の差はどこから来るのであろうか。
理由は色々あるだろうが、ひとつには資格制度に対する基本的な考え方の違いがあるのではなかろうか。すなわち、日本は、税理士に資格としての公共性を明確に認め(税理士法第1条)業務独占性を与えること(税理士法第52条)で制度の信頼性を担保するのに対し、アメリカは、自由を建国の理念とする関係上、税務代理資格に業務独占性を認めず、制度の信頼性は自由の反対側にある自己責任原理を通じて担保しようとしていると思われるのである。自由競争のもとで不可避的に発生する事故ないし損害が、自己責任原理を通じて国民に帰責される結果、保険制度が生み出されるのは必然といってよい。これに対し、日本では国民の自己責任原理が働く余地が今まであまり無かったので、保険の需要が少ないのも無理からぬところがある。
加えて、そもそも「専門家責任」に対する認識が不足していることもあろう。特に税務当局は脱税等には厳しい反面、申告納税制度並びに税理士制度を促進する立場からか、専門家の過誤を指摘することや「専門家責任」を論ずることには無関心であり、ましてやその保険制度については殆ど検討して来なかった。その結果、我々が「専門家責任」の追求を免れるという皮肉な恩恵に浴していることも事実である。
それとともに、当局が保険制度につき検討しない理由として、「そもそも納めるべきものを納めさせるに過ぎない過程で、なぜ保険が介在しなければならないのか。」という強い思いがあるためであろう。なるほど、追加本税にしろ延滞利子税、加算税にしろ、またそれを納税者、税理士いずれが最終的に負担するにしろ、「納めるべきを納める」以上、その原資を賄う保険など国民の基本的義務を形骸化するもので認めるわけにはいかないというのも分かるような気がする。この点をどう説明するかは大変むずかしい問題である。
更には、日本人はとかく「水と安全はタダ」とか「減るものじゃなし」とかいったように、目に見えないものに価値を見出さない傾向があるが、今後国際化のなかで特殊な技能や資格に対し、その価値を認めていく社会風土の醸成が求められる。これには我々自身の不断の努力が必要なことは論をまたないが、あわせて諸外国の実情を知ることが大事であろう。今回アメリカの事情を見聞して痛感するのは、その点真に充実していることである。専門家の技能や知識に対して深甚なる敬意を払っていくとともに、なおかつ専門家の人間であるがゆえの限界も率直に認識して、無形の社会資本蓄積のため英知を傾けている姿が印象的である。社会が健全に機能していく原動力は身近なところにあるといえよう。
さて我々がこれから為すべきことは、「専門家責任」の内容を詳細に分析し、国民と税との関係、税に対する税理士の係わり、国民に対する税理士の職責など多面的に考えていくことである。税理士は誰に対しどのような立場にあるのか、どういう場合に間違いが起こり、どういう場合に損害が発生するか、そもそもここでいう損害とは一体何なのかを知ることから始めるのが肝要である。これについては、今回の調査研究視察についての粕谷幸男国際部長の報告注36が示唆に富む。以下に引用する。
「会計専門家のリスクマネイジメントと賠償責任保険については、保険ブローカーであるマーシュ(Marsh)社の副社長マサタカ・イドモト氏と同副社長シュンイチ・サム・イトウ氏からの説明を受けた。リスクマネイジメントは、事務所の品質管理システム、損失防止策、職業賠償責任保険、解決措置制度の四つの構成要素から成り立っている。
わが国に職業賠償責任保険制度を本格的に導入するにあたっては、他の三要素の導入の検討を併せて行わないと会員負担の少ない保険財政が成り立ち得なくなろう。その意味からして、保険ブローカーが会計専門家の立場で、職業賠償責任保険の本格的導入を検討する意味があることを講演で知ることができた。」
以上のようなことを実証的に研究し、実態に合い且つ保険数理にかなう保険商品モデルを税理士会が独自に作って公表し、各界の意見を聞いてみたらどうであろうか。

注36 粕谷幸夫「米国調査研究視察報告―米国税務専門家制度と連結納税制度の調査研究視察について―」『東京税理士界』2000年12月1日第527号.p5参照

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